欠点がなければそれは人間ではない
僕はよく悩みについて考え込んで
そのままるつぼにはまってしまって、悩む行動から抜け出せないことがあります。
お金、恋人、家族、会社の関係、趣味。
大半は、思いついても将来を考えすぎて手を出さない!けど現状を変えなきゃ!他の案を!なんて繰り返しです。
いつもの流れでまたるつぼだと気づくと、また思考にとらわれてる!と思い直して気分をフラットに戻そうとします。
そういうときはほかに同じ悩みを持っている人はいないかな~と探したりします。
人それぞれなんと悩みの多いことか。
見ているうちに気付くことがあるんですね。
他人事ならなぜかすぐ案が出る
お金の悩みを持ってるという記事を見ると、
社会人なら給料があるから支出を減らして余った資金で副業、投資にかける割合を決めて
投資はそのまま定額だけ決めてほっておいて
副業は自分にできることを収益化できないか手を考える。または前例がないか調べてあてはめる。
あとは実行しないと。行動して初めて現実か妄想か見えてくるのだろう。
…そんなことをふと考えます。
自分のときはそんな風に簡単に思えませんから、同じ悩みを自分事で持つととたんに牛歩になります。
あれだけ偉そうに考えてたのに小さいやつだと自分に対して思ってしまいます。
彼女だって
まず人付き合いを増やすことから始めて、出会う中でフィーリング…
食事に…、デートに…、
家族も
優先事項を決め…、お互いの落としどころ…、役割分担…、ノルマ以上は気にしない…
他のことも同じような感じで
他人事だとつい答えが出てくる。
まずこれで自分事だとハードルあげすぎなんだなとよーくわかりました。
じゃあなんでハードルあげすぎるのかって
自分ができないことをよく見てきて、そう思う癖がついたからだと思います。
あれもできないこれもできない。
運動も下手で、学校のテストも点数低かった。
受験も厳しくて落ちて、就活もエントリーシートで落とされて。
それは自分を律して成長するよう励みなさいと言われてそのとおりにがんばってきた結果です。
素晴らしい精神だと思います。
でも行動を止める考えがそこまで必要か、疑問です。
そんな人に知っておいてほしいのが
欠点がなければそれは人間ではない
人にはそれぞれ役割があります。
子供がいて親がいて、先祖がいて。
会社では役名があって、学校でも生徒と先生。
その中でも部活では部長だったり部員だったり
テストでも点が取れる人取れない人。
会社や学校でなくても、友達や知り合いの中では
この人はムードメーカー、この人はリーダー、この人はつっこみ、この人は聞き手にまわる。
いろんな役割がありますが、ふと疑問がでます。
『こんなにみんな違うのになんでうまくやってるの?人間』
それぞれ役目があって、この人はすごい能力の持ち主だ!この人のおかげで仕事は回ってるようなものだ!
この人のおかげで学校が有名になるんだ!同級生でよかった!
目立つ人はそんな人ですが、1人だったらどうでしょう。
上には立ちません。下がいませんから。
仕事も回りません。ワンオペだから。
評価する人もいませんし顧客もいません。
人が存在するのは人がいるからという考え方があります。
この世のものは、自分が見ているから存在しているけど、自分がいなければ存在しているかわかりません。
証明できないのです。
一番最初の何もできない赤ん坊のころから、だれかを認識することで、その人は存在できます。
欠点をたくさん数えることもできますが、当たり前だと思って忘れている、今この瞬間も人の役に立っているということも同様にたくさんあるのです。
生まれたときから他者の役に立っている僕らですが
それでも一緒にこの世界にいる僕ら人間はなぜうまく生きてるのでしょうか?
意識せず役に立っていて、ちょうど空いた隙間を自然と人が埋めるように調和できてるように思います。
つまり欠点を持つことが社会的人間たらしめており、調和できるきっかけになっているのです。
だから、欠点がないと人間じゃないのです。
人間の失敗や欠点が自分の、または他者の命を生かしてくれている
自分の欠点ばかり見て
人の迷惑だとつらくなるとか、思い通りにならないとか
それはどこかで巡り巡って、自分の人生にかかわってくれて
あのときのことは、今このためだったのか!と気づくことになります。
その日を目指して今日もまた悩んだりしながら、行動してみるのでしょう。