【改めて考えてみましょう】すべての人に合わせて生きることは不可能という理屈について

こんにちはみゃーもんです。

 

今日はこの世のすべての他人にあわせて生きることは不可能という理屈についてお話しします。



 

これは『嫌われる勇気』に記されている内容ですが。

 

人はそれぞれに自分の考える正しさという概念を持っています。

 

常識という一般的なルールに従っているのだからみんな同じ考えで協力できると言いますが、残念ながらみな異なる性質を持っています。

 

誰もが違う意見を持つようになっており、遺伝子情報もたくさんのものが混ざり合って人が生まれています。

 

そう考えるとたとえこの場に存在する人全員の意見をまとめようと思っても、その中の2人が絶対に譲らない状況が発生したとしましょう。

 

自分と他の2人が存在するだけで、もう他人のすべての意見をあわせるという行動は無意味と化します。

 

誰が誰と意見があうかもわからず、日本の人口という母数の中から同じ意見の人を百発百中で見つけ出すことが可能だと思いますか?

 

人が多くなればなるほど判定できなくなります。

 

他にも、他人のためにあわせてやったことなのに、その人は不満に思って、それを僕らのせいにしてくるわけです。

 

これでもまだ、誰かに意見をあわせることで平和が訪れると考えられますか?

 

こんなことではいつまでたっても自分の意見はなく、建設的な意見も出さず、ただのでくの坊と思われるようになるわけです。

少し言い方がひどくなりましたが、それだけ他人に合わせるということは無駄な行為なのです。

さらに言えば自分が楽しようとする行為とも表現できます。

 

じゃあどう行動するのが最も他人のためになるのか。

 

あなたのフォロワーはあなたが明らかにフォロワーのためにとっているんだ!という行動を嫌います。

 

あなたの本当のファンは、あなたが好きなことを実行して楽しめているさまを見ることに喜びを感じてくれる。

 

そして、アンチはあなたがアンチのために取る行動に喜びを感じている。

 

そう考えるとあなたが取るべき行動は明らかなのです。

 

ここでいつもの質問に戻ります。あなたが心の底から楽しいと思う行動はなんでしょうか?



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