情報の発信者について、最近感じたこと

こんにちはみゃーもんです。

 

今回の記事はあまりにも個人的な感想が含まれるのであまり信憑性がないことをご了承ください。



 

僕は今まで有名な方の動画とか本とかよく読んで知識をいただいていました。

僕がブログとか動画とかTwitterの投稿をはじめたのはとある人の本に出会って、自分の力で誰かの役に立ってみたいと思ったからです。

読書から僕の活動はスタートしたのです。

 

いろんな人の知識を文字で場所や時間を問わず吸収できるのはすばらしいことだと気づきました。

その日から今日まで、(2016年後半から今日)ずっと信じて読書もしているのですが

 

たまに信用できないと思うことがあります。

 

僕はまだまだぺーぺーなので、いろんなことを吸収するスタイルではあるのですが、それでも受け入れられないときがあるのですね。

 

例え自分が師匠だと思っている方の話でも拒絶してしまうときがあるのです。

 

話の質が悪いとかコンテンツの問題ではありません。

 

では何なのかというと。

 

 

『この話ってこの人みたいに、

 才能と努力を兼ね備えたものにしかあてはまらないんじゃないかな?』

と、何の悪びれもなく思ってしまうときがあるのです。

 

なんてったって、師匠には隙がない。悪いところやおちゃめなところが全然ない。

まさに完全無欠の超人状態。

だからこそ師匠やメンターとして崇め奉り、自分もこうなりたいと思うようになるのですが。

 

ずっとついていくのですが、いくらかの期間ついていっても自分の生活が変わっていなければ、

『なるほど、自分にはあてはまらない方法なのかもしれない。』

と思うようになるわけです。

 

片や完全無欠、片やうだつのあがらない一般サラリーマン

 

でも、師匠側の考えもよくわかります。

自分が完全無欠じゃないと夢を追いかけてくれない。自分も変われるんだと思ってもらえない。

できなかったころに戻れるわけじゃないから、言葉で『昔は僕もできなかったんですよ?』と証拠もなく伝えるしか方法がない。

と思っていることでしょう。

 

だから、読書や動画を見て学ぶときに、『そうはいってもその方法は自分にはあてはまらない。』と考えてしまいそうなときには

思い出してほしいことがあるのです。

 

 

なんで自分はこの人を師匠としてあがめようと思い始めたのか。

 

役立つ情報を発信してくれる人はずいぶん増えてきました。

軽く動画を見ただけでも『あーこの人の考え方は勇気をもらえる』と思うことは多々あるのです。

多くの有益な動画がある中でもつづけて視聴しようと思うのは、確実に何かきっかけがあります。

 

それを思い出してください。

 

そしたらまた信じることができ、自分も変われると信じられるようになり、成果ではなく、行動自体に意義を感じ始めるようになったら

いつの間にかあなたは到達したい場所へ登りつづけて高いところへついているのです。

 

自分を救ってくれた師匠にすら不安を感じるという不毛なことはやめましょう。

あのころのあなたの判断も正しかったのです。

 



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