【きっかけは1冊の本とともにだった】僕がブログやYouTube、Twitterでの活動を始めたきっかけをお話しします
どーもみゃーもんです。
長々とこんな活動をしていて、こいつなんでこんなことやってんだろ。
どういう経緯ではじめたんだろ。
モチベーションとかどうやって保ってんだろ。
そんな疑問を持つ人がいるかもしれないと思うので
今回は自分の活動を始めた成り立ちについて
語らせてください。
子どものころ。
1992年(平成4年)
2月の寒い時期に中四国地方で誕生しました。
骨太で体重は重かったらしく元気な子が生まれたと安心したそうです。
姉が1人で僕は弟の2人姉弟で、姉が仕切るので僕は引っ込み思案で前に出るようなタイプではありませんでした。
親からも言うことをよく聞くタイプで、朝起きるときは言わなくても日が出てくると起きてきてた。よく人見知りしていたけど、好きなことになると夢中になって食いついていたそうです。あとホラー映画を見せると人一倍驚くからおもしろかったそうです。(※人が嫌がるものを見せてはいけません)
目を離すといつの間にそこまで行ったんだというくらい遠くまで行ってしまっていたとも聞きました。
好きなことは、特撮(ウルトラマン等)とゲーム(当時はポケモン赤だったかな?)でしたね。
両親は保育園に関係する仕事をしており、実家が経営していたので
園児のころは嫌なことがあるとすぐ実家に逃げ帰っていました。
そんな生まれた瞬間から明らかにオタクになるだろうと予想できる僕はですね。
小学校や中学校で苦手なタイプの人と付き合うことが多かったのですが、いじめではなくて、なんだかんだうまく付き合ったように思います。
今思い返してもあまり思い出がないのですが、結局一番印象に残ってるのは高校受験で失敗したことですね。その話はこちらで語っているのですが、まぁ受験失敗しました。高校時代の話ちょっと長いので、別記事ですみません。
実は高校は第一志望じゃないところに行ってます。
それからの人生では、とにかく無気力で、何をしてもしっくりこなくて、何せ、何を努力したってなるようにしかならないと思っていたので。
実は大学も第一志望じゃありません。
落ちましたね。
当時はかなり落ち込みました。
けど高校受験のときに学んだのか、第一志望に落ちてもなるようにしかならないと思うようになっていました。復活するのは高校受験時より早くなっていたのです。
大学の友達もできて遊ぶようにもなり、大学生としての生活はなかなかに楽しかったのですが、心の中にどこか腑に落ちないような感覚が残ったままでした。のちにわかるのですが、僕はアルバイト経験がなくて、その状態で社会人になるので、なんとなく働けるビジョンは見えておらず不安だという感覚があったのです。
そのあと、就職浪人時代になります。
高校受験や大学受験のときに思い知ったことが原因でした。
「どうせ僕が何かを望んだところでなるようにしかならない。それなら努力しなくていいや。」
その結果内定を取らずして4年を終えてしまい、就職浪人をしてしまいました。
就職浪人してからは親のお金で生活してました。
バイトで生きてハローワークで就職先見つけるって言ってたんですよ。
居酒屋アルバイトをしながら、日中は4年次にできなかったエントリーシートや履歴書の書き方を初めて真面目に学びました。
ほんとにそれほど不出来で、努力をする人でもなく、継続もできない人間なのです。
仕事内容は選びませんでした。正社員になれるならなんでもいいと思ったのです。
正社員で給料を稼げる。それができる大人になりたい。ならなきゃいけない。
そう思って、50件を超えるほどトライしました。(ESだけで跳ねられることも多々。)
その結果。
就活を諦めました。
え?と思いますよね。
諦めたんですよ。無理だと思って。
そこで実家でやってる学童のアルバイトをさせてもらうようになりました。
ただこのアルバイトは1年やったのですが、虚無そのものでした。
給料は働いた分だけもらえます。実家暮らしですし、趣味もそのころほんとになくなっていて。人生で今のところ3桁万円貯金できたのは後にも先にもこの時期だけですね。(2020年現在)
でも虚無なんですよ。
そのときこう思っていました。
「お金を得て生きることができてるけど。多分このままあと50年さらっと過ぎて死ぬんだろうな。」
伝わるかわからないのですが
自分の人生はこのまま終わるなって確信しました。
だから虚無だったんですよ。
余生は何も変わることなく、そのまま時が流れ終わるのか。つまらない人生だったな。と思いました。
毎日同じ仕事を繰り返して、給料を得て、彼女もいないので結婚にかける資金などの心配もなく、見るものすべてがまるで灰色に見えて、音が聞こえづらくなり、感情が薄くなるので少しずつ感情表現が小さくなり、自信もなくなり、虚無感に覆われた日々でした。
そんなある日、ある人が配信しているのをたまたま見かけました。
ニコニコ生放送でメンタリストDaiGoが配信していました。
元々2010年の大学時代からニコニコ動画と生放送が大好きだったので、たまたま見かけました。
そのときはなんとも思いませんでした。
「パフォーマンスする人がニコニコに来たんだ。そういえば実用書とか書いてたな。売れてる人なのかな。まぁだからどうということではないが。」
そんな感想でした。
後日、僕は漫画や雑誌を買いに本屋に行きました。
TSUT〇Y〇ですね。
そしたら店頭に、あのメンタリストDaiGoの本が並んでいました。
タイトルは
自分を変えるのに頭も根拠も希望もいらない!
ですって。
立ち読みで1ページだけ読んでみました。
「楽しみながら自分を変えるポジティブチェンジとは?
・もっと有能な人間に変わりたい
・このネガティブな性格をなんとか変えたい
・とにかく変わりたい。新しい自分になりたい。
自分を変えるための方法論にあふれています。」
読んだ時は半信半疑でした。正直暇つぶしにはいいだろうと思っていたのです。
もしこの本を読んで人生で何か1つでも変わったら儲けものだなって。
漫画と雑誌とともに1冊だけ買ってみたのです。
その本の中で書かれているものは例えばこんなものでした。
今でも記憶に残っています。
・自分の長所と短所を全部書き出して、短所を長所に表現してみてください
・自分の現在の外見や性格やファッション等を書き出して、その右側に真逆の情報を書き出してください。それを実行しましょう。
・自分の生活に新しい行動を取り入れましょう。
・恥ずかしいという行動ができるように徐々に練習しましょう
最初は1つ目の長所と短所の話から実行したのですが、その次、またその次とすぐ実行したくなりました。
それは一概にこう思ったからです。
「この本の通りやると、自分が何か変われるんじゃないかと希望が湧いてくる。
実行していること自体が楽しい。何か、何者かになりたい!生きたい!」
思いはどんどん強くなりました。
終わりの見えていた感覚が、今の景色を目に焼き付けるようになり。
仕事は毎日同じことの繰り返しじゃないことに気づき、心配事ができました。この人生僕はどうしたいんだと自らに問うようになりました。見るものすべてが灰色から音のついたカラーな世界がゆっくり現れ、心と体が熱を取り戻したように意識が戻り、表現に感情が現れ、虚無に覆われた日々は、変わりゆく毎日の1部となりました。
このときの僕は1つ夢ができていました。
「あのとき、就職浪人しても果たせなかった。正社員になりたい。」
その思いから、就活をはじめたのです。
勉強もしました。
トライすること約30件、何度も落ちたのですが、次の年。
ついに内定を得ることができたのです。
それを見たときの僕は、ほっと心が落ち着くと共に親にすぐ報告しにいきました。
内定の紙を見て親は一度、目を疑ったそうです。
どこか誤字がないか探したみたいですね。ありませんでした。
あんなに無気力で努力を渋って、今後の人生に希望もないと話していた子が正社員になれたのかと。
親が喜び勇んでおいしいものを食べに出たことを今でも覚えています。常套な焼肉をごちそうになりました。
僕も働き始めることにわくわくしながら、賃貸を探したり、家具をそろえたりしました。
いろんな新しいことを始めることが楽しみで、そんな中1つだけ僕が心に決めたことがありました。
それは、あの日出会った最高の本にまた会いたい。
あのときの人生が変わったという感覚がまた欲しい。
だから僕がここで働いてお金を稼ぐのは、ここで働き続けるためじゃない。
『人生を変えるような知識に出会うため、本を買うためにお金を稼ごう。いずれそれを発信するために。あの人のように。』
そう思って、希望をもって働き始めたのです。
ここまで読んでいただけた方の中に就活浪人とかニートである方はいらっしゃるでしょうか?
元々僕もそうだったということで、正社員になる希望を持たれる方とか、まぐれだろと思われる方がいるかもしれません。
いずれにせよ、僕の物語はここで一転してしまいます。
働き始めて新しく気づいてしまったのです。僕がオープンな職場で働くことの欠点に。
それは僕が、HSPということが問題でした。
HSPって何?と思われるかもしれません。
HSPというのは
High Sensitive Personの略ですね。
非常に感受性が強く敏感な気質をもった人のことを言います。
先天的なもので、外から見るとHSPの人であるかどうかは一見わかりません。
どんな体質の人を指すのか条件を上げてみましょうか。
①職場で機嫌の悪い人がいると気になる
②人と長時間一緒にいると、疲れてしまう
③小さなミスに気づいて仕事に時間がかかる
この中のどれが僕にあてはまっているか確認してみました。
あてはまっているのは、①②③でした。
全ての特徴が職場にいるときの僕と全く同じ症状だったのです。
HSPの人のほとんどはHSPではない人からこうアドバイスされるのです。
「そんなの気にしなくていいんだよ。大丈夫だから。」
アドバイスは非常にうれしいです。気を使ってくれているという意志がわかります。
しかし、HSPの人間にこれはできません。
五感の全てがHSPでない人よりも敏感なので、勝手に情報が入ってくるのです。
HSPの人とHSPでない人はお互いを理解しあうことが難しいです。知識として知るしかありません。そういった人もいるんだということを。
仕事中何事もないのに耳をふさいでいる人とかいませんか?もしその人が仕事をさぼったりするような人じゃないと思う場合は、その人はHSPの可能性があります。決してさぼりやただ悩んでいるわけではありません。
その場にいるのが辛い可能性があります。
僕と同じような悩みを持っていたり、HSPのことをもっと知りたいという方は次の図書、『繊細さん』にも詳しく情報がのっているので読んでみていただければと思います。
僕は正社員としてせっかく働けたのに、1,2年目は上司や顧客に怒られながらも、励まされながらも、我慢だけが取り柄の僕だったのでがむしゃらに働いていたのに。
HSPが原因で現在、有休を定期的にとって休むことが増えてしまいました。
職場の人間関係や外部との人間関係、仕事内容。
それらの大半がHSPの僕には厳しいものでした。
僕のやりたいことは他者を束縛することではなくて、自由に新しいものを生み出すことだと気づけましたけどね。
職場内の環境に耐えられなくなって、それは自分が一概に弱いせいだと思っています。
それでも辛さに耐えきれなくなり有休をとるようになった。
職場のせいではなく、あくまで僕自身が弱いがゆえに休んでいるという感覚があって。
このまま迷惑をかけるわけにもいかないうえ、僕には夢があります。
それは、「僕のように人生の転機ともいえる本、または知識を発信したい。」
そこで僕は思いました。
このまま迷惑をかけてしがみつくより、自分の行きたい道へ進むべきなんじゃないか。
ブログで発信することについては日々悩んでいます。
人はそれぞれ必ず異なる個性があることに気づいた今、僕と同じものを求めている人ばかりじゃないと思うからです。
人によっては、正社員になる方法、今の職場で働き続ける方法、新しい場所へ転職する方法、独立する方法、それらのどれかかもしれませんし、それ以外かもしれません。
独立するためにどんなことをするかについて書いている人は多くいることがわかっていることもあって、僕は
「メンタルを維持することで、自然とフリーランスになることも考えられるようになり、独立後も安定したメンタルで生きる方法」
について発信しようと思いました。
そこで始めたのがこのブログ・YouTube・Twitter・brainになります。
今もいろんなことが手探りで、他の人から見るとはじまってすらいないと思われるでしょう。
僕のこのブログで、実体験や本の知識に基づく情報を発信することで、フリーランスへの手助けができるようにがんばっていこうと思います。