野村監督、残す名言の重みが段違い…『誰にでも必ずあるたった一つの才能』
誰にでも「考える」という才能はある
『南海のテストを受けたのは、レギュラーになれる可能性がもっとも高いと踏んだからだった。
レギュラーのキャッチャーが30歳代だったのだ。
2~3年、私が二軍で力を蓄えたころ、ちょうど引退の時期を迎えるだろうと考えたのである。
もう一球団、広島も正捕手が30歳を超えていたが、当時の南海は若手の育成には定評があった。それで南海を選んだのだった。
プロ入り1年目のオフに解雇されかけたが、「南海電車に飛び込みます」と泣いて訴え、クビがつながった。また、はじめてホームラ ン王になったとたんに打てなくなったときには、データを集め、それを駆使することで乗り越えた。必死だった。
とりたてて野球の才能があったわけではない。私以上の天性をもった選手はほかにいくらでもいた。にもかかわらず、私が半世紀以上も野球の現場にいられたのはなぜか。
徹底的に頭を使い、知恵をふりしぼったからだ。どんな困難があろうと、高い壁にぶちあたろうと、決してあきらめずにその都度徹底的に考え抜き、試行錯誤したからである。』
あの名監督野村さんでも苦しみ悩み、それを脱するために泥臭い努力をしたことがあるのは、
身近に感じさせると共に、努力しなければ、という根性を湧き上がらせる。